運営者 Bitlet 姉妹サービス
使い方 FAQ このサイトについて | login
45件の議事録が該当しました。

該当会議一覧(1会議3発言まで表示)

1999-03-09 第145回国会 衆議院 内閣委員会 第3号

中国山西省日本人残留部隊の問題ですが、これは中国山西省日本人部隊終戦直後に中国山西省残留した約二千六百人の将兵が、中国国民政府軍の支援のために、軍の命令残留を余儀なくされ、本人の知らない間に、一九四六年から五六年に引き揚げてくるまでの間に、現地除隊、いわゆる召集解除の措置をとられて、正当な処遇をずっと受けられないでいるという問題であります。  

中路雅弘

1997-07-09 第140回国会 参議院 決算委員会 閉会後第2号

そこで、ただいま先生の御指摘山西省にありました旧日本軍の支那派遣軍、これは第一軍でございますけれども、この日中の停戦協定に基づきまして中国国民政府山西軍降伏手続をとることになっていたわけでございます。しかし、当時の山西軍は、中共軍への対抗上、将兵がやや弱いということで山西軍への参加を勧誘したというところもあり、第一軍将兵の中には残留希望者が当時続出したと聞いております。  

炭谷茂

1997-03-17 第140回国会 参議院 内閣委員会 第2号

説明員竹之下和雄君) 当時、終戦直後、中国国民政府軍の山西軍参加するために山西省残留した旧日本軍軍人につきましては、昭和二十八年から二十九年にかけまして残留者に対して当時の実情に関する調査を厚生省として行いました。そして、その結果については昭和三十一年に国会に報告しているところでございます。  

竹之下和雄

1993-03-29 第126回国会 参議院 内閣委員会 第3号

それから山西軍の方は、中国国民政府から日本人山西軍の編成を禁止する、こういう命令が来ておったんですけれども、そういう命令日本軍に通知されていなかった、こういう時期が実はあったわけです。  それで、当時第一軍は約六万おったんですけれども、一万人残さなければ全員復員させない、こういううわさを流して日本軍を動揺させたわけです。

村瀬松雄

1992-04-07 第123回国会 参議院 内閣委員会 第4号

しかし、その次の段階に参りますと、いろいろありまして、南京にあります支那派遣軍だとか、あるいは中国国民政府の方の指令が正確に第一軍に届いていなかった、そういうことがありまして、それが二十一年になりまして、支那派遣軍の方の総司令官がどうも山西軍の方の様子がよくわからないということで、総司令部の方から宮崎中佐、これは支那派遣軍の参謀なんですけれども、中佐山西の方に派遣したんです。

村瀬松雄

1988-04-28 第112回国会 衆議院 内閣委員会 第9号

終戦に伴いまして、中国山西省にありました日本軍は、停戦協定に基づきまして当時の中国国民政府山西軍降伏手続をすることになっておったわけですが、昭和二十年十月、山西省を支配しておりました山西軍は、当時中国共産党軍への対抗上、日本軍一軍でございますが、これの将兵及び在留邦人山西軍への参加を勧誘いたしまして、これによりまして多数の方々参加されたのでございます。  

村瀬松雄

1971-11-01 第67回国会 参議院 予算委員会 第2号

この目的のため、わが政府は、千九百五十一年十一月十七日、中国国民政府の同意をえて日本政府在外事務所台湾に設置しました。これは、かの多数国間平和条約が効力を生ずるまでの間、現在日本に許されている外国との関係最高形態であります。在台湾日本政府在外事務所に重要な人員を置いているのも、わが政府中華民国国民政府との関係を重視していることを示すものであります。

須之部量三

1964-12-07 第47回国会 衆議院 予算委員会 第8号

また、ただいま申しますように、中国国民政府との間に条約のあることは、国民大多数の方も御存じであります。そうして大陸との交渉を政経分離の方法でやっている。どうも政府は、そういう形で貿易も額が増加し、また文化的にも人的交流も行なわれておるということをよく承知であり、その政策を国民大多数は支持しておる、かように私は思っております。

佐藤榮作

1964-02-13 第46回国会 衆議院 予算委員会公聴会 第2号

のみならず、どのような国際文書を探してみましても、あの台湾海峡台湾中国との争いが激しくなるまでに、強い主張として台湾の帰属が未定であるということはなくして、むしろあの台湾海峡問題からそういう主張がなされてきたのでありまして、列国が共同管理しているという、そういう意思もございませんし、形態もなく、台湾日本が放棄した地域に対する一国の、この場合中国国民政府単独管理、朝鮮の北はソ連邦の単独管理、南

入江啓四郎

1961-02-18 第38回国会 衆議院 外務委員会 第4号

帆足委員 人類の大脳の、最高判断力を持っておる大脳の作用に従って、その論理に従って問題を整理整頓して参りますと、それでは中華民国というもの、今の蒋介石政権は、これは中国国民政府の、それがこっちへ亡命して移ってきまして中国国民政府権利義務を継承したところのその継承者であるのか、それとも、名前中華民国という大ぎょうな名前がついておるけれども、単なる台湾焼きイモ一つを代表している政府にすぎないのか

帆足計

1960-05-12 第34回国会 衆議院 日米安全保障条約等特別委員会 第34号

指摘通り、初めの方にそのようなことが言われておりますが、その実体的な部分、つまりオペラティヴ・パートと申しますか、その中には「わが政府は、法律的に可能となり次第、中国国民政府希望するならば、これとの間に、かの多数国間平和条約に示された諸原則に従って両政府の間に正常な関係を再開する条約を締結する用意があります。

高橋通敏

1957-08-01 第26回国会 参議院 外務委員会 閉会後第1号

その後、中国の国内の事情は非常に変りまして、中国大陸は毛沢東の政府によって統治せられ、台湾を中心として国民政府ができて、事実上中国国民政府というものと中国人民共和政府と二つが広い意味における中国を支配しておるという、こういう事実が生じたわけであります。私どもは、この沿革とこの事実を全然無視して一つの理論を立てるということは、これは非常に現実から私は離れるものであると思います。

岸信介

1956-12-03 第25回国会 衆議院 海外同胞引揚及び遺家族援護に関する調査特別委員会 第4号

第四は、支那派遣軍総司令官中国国民政府陸軍総司令官及び駐支米軍司令官の第一軍帰還の指導並びにその内地帰還、これはいわゆる蒋介石あるいは支那派遣軍の方で、山西におりまする第一軍状況を知りまして、この帰還方についていろいろ努力しましたその状況でございます。その結果、第一軍の主力というものが帰還を見たのであります。

吉田元久

1955-12-14 第23回国会 参議院 予算委員会 第6号

それは何とかして日本をも含む加盟申請国希望を実現したい、こういう圧倒的な各国の要望と、それに対して外蒙問題、外蒙を国際連合に加えるということは適当でないという考え方とのかち合いでございまして、そこで結局外蒙を加入せしめるということに最後反対したのは中国国民政府でありまして、そうして安保理事会において拒否権を使いまして、従いまして外蒙を含む十八カ国の一括提案ということがそこにくずれたわけであります

重光葵

1955-12-09 第23回国会 参議院 予算委員会 第4号

○国務大臣(重光葵君) 国連加入の問題に関連して中国−国民政府から何らの要望を申し出でたことはございません。わが方の国連加入に対する要請国民政府に十分にいたしてきたことば先ほど説明した通りであります。国連加盟は、これは国会の決議によっても、非常に強力に日本要請してきたところでございます。

重光葵

1955-12-08 第23回国会 参議院 予算委員会 第3号

国連への日本加入はほかの議員もお尋ねしたと思いますが、十八ヶ国の一括加入の問題が起きておりますが、国府の反対か賛成かという問題が非常に世界の視聴を集めておるのでありますが、これが一括加盟という問題になってきましたときに、台湾におけるところの中国国民政府モンゴール参加に対して反対であるという意味から結局理事国としての拒否権を発動した場合においては日本参加できない。

千田正